それ、本当に自己責任?巷に溢れる「自己責任論」を8つのタイプに分類してみた

論文の森

なんだか息苦しい。そう感じること、ありませんか?

失敗すれば「自己責任」、困難な状況に陥っても「自己責任」。まるで魔法の言葉のように、あらゆる場面で耳にするこのフレーズ。特に、誰かが困難な状況にあるとき、まるで冷水を浴びせるかのように使われる「自己責任論」には、釈然としない、もやもやとした感情を抱く人も少なくないはずです。

しかし、ちょっと待ってください。その「自己責任」、本当に一つの意味しかないのでしょうか。

実はこの言葉、使われる場面や人によって全く違う顔を見せる、非常にトリッキーな言葉なのです。ある時は個人の自由や覚悟を称えるポジティブな響きを持ち、またある時は弱者を切り捨てる冷たい刃と化す。

今回は、そんな「自己責任」という言葉の正体を、青山俊之氏の研究ノート『自己責任ディスコースのメタ語用論的範疇化によるタイプ分析』を紐解きながら、探検していきましょう。この言葉が持つ多様な顔を知ることで、巷に溢れる「自己責任論」のカラクリが見えてくるかもしれません。

「自己責任」はいつから使われ始めた?

そもそも、「自己責任」という言葉がこれほどまでに市民権を得たのはいつからなのでしょうか。論文では、全国の主要な新聞でこの言葉が使われた回数の変遷をグラフで示しています。

それを見ると、驚くべきことに1980年代にはほとんど使われていなかったこの言葉が、1990年代初頭から急激に増加していることがわかります。 きっかけは、当時の「証券不祥事」でした。 もともとは、金融や経済の世界で、「投資は自分の判断と責任で行うべき」という「自己責任の原則」として使われ始めた、いわば専門用語だったのです。

それが社会に広く浸透し、多様な意味合いで使われる大きな転機となったのが、2004年のイラク日本人人質事件でした。 「危険な場所へ行ったのだから自己責任だ」という論調がメディアを賑わせたことを覚えている方も多いでしょう。この事件を境に、「自己責任」は単なる経済用語から、個人の行動や選択を批判・評価するための言葉へと、その役割を大きく変えていったのです。

あなたが聞いているのはどれ?「自己責任」の8つの顔

さて、ここからが本題です。論文では、この複雑怪奇な「自己責任」の使われ方を、大きく2つのグループ、そして8つのタイプに分類しています。 一つは、規範的で理知的な「情動-(マイナス)」グループ。もう一つは、より感情的なニュアンスを伴う「情動+(プラス)」グループです。 一体どんなタイプがあるのか、具体的な事例と共に見ていきましょう。


【情動-】理屈っぽい「自己責任」たち

こちらのグループは、比較的冷静で、ある種のルールや規範に基づいた使われ方をするタイプです。

① 経営・金融原則タイプ

これは「自己責任」という言葉の原点とも言える使い方。 株式投資や企業経営において、「自由な経済活動にはリスクが伴い、その結果は自ら引き受けるべき」という原則を示すものです。 ここでは、自由な選択と責任がセットになった、クールな経済ルールとしての側面が強いと言えます。

② 権利/覚悟タイプ

「自分の意思で自由に行動する権利がある。だからこそ、その結果引き起こされることについては、自分で責任を負う覚悟を持つべきだ」というタイプです。

論文では、2015年のIS日本人人質事件で、ジャーナリストの後藤健二氏が現地へ向かう前に残した「何が起こっても、責任は私自身にあります」というメッセージを例に挙げています。

これは、自らの職業的使命や信念に基づいた行動であり、そのリスクを受け入れるという悲壮なまでの「覚悟」が示されています。他者から押し付けられるのではなく、自らが引き受ける主体的な責任の形です。

③ 自主自律タイプ

主に教育の分野で見られる使われ方です。 1980年代の教育改革の中で、「画一的な教育から、個性を尊重し、自律性を育む教育へ」という流れが生まれました。 その中で、「自分の進路は自分で考え、判断し、その選択に責任を持つ」という、個人の自主性や自律性を促すためのポジティブな概念として「自己責任」が語られました。

④ 自己統治/啓発タイプ

自分の人生は自分でコントロールするもの。努力や能力開発によって、困難は乗り越えられるはずだ」という、自己啓発的なメッセージを伴うタイプです。

2018年にSNSで物議を醸した「過労死は自己責任」という発言は、このタイプに分類できるかもしれません。 この論理では、「過酷な労働環境から抜け出す選択をしなかった本人にも責任の一端がある」と、問題の原因を個人の選択や能力に帰結させてしまいます。 構造的な社会問題から目を逸らし、個人の努力不足へと問題をすり替えてしまう危険性をはらんでいます。

⑤ リスク管理タイプ

危険を予測し、それを回避するのは個人の責任だ」という考え方です。 登山での遭難事故や自然災害の際に、「なぜ危険な場所に行ったのか」「なぜ備えを怠ったのか」と被害者のリスク管理不足を問う声がこれにあたります。

論文では、ある殺人事件の被害者に対して「夜に女性一人で行くのが悪い」といった声が上がった例を挙げています。 本来は加害者が100%悪いにもかかわらず、被害者の行動に原因を求めるこの論理は、しばしば二次加害(セカンドレイプなど)の問題とも結びつきます。


【情動+】感情的な「自己責任」たち

こちらは、怒りや非難といった、より強い感情を伴って使われるタイプです。

⑥ 無責任タイプ

他人に迷惑をかけるな。自分の行動の結果は自分で何とかしろ」という、他者への影響を問題視するタイプです。

人質事件の際に、「彼らのせいで国が迷惑している」といった文脈で使われるのが典型例です。 個人の行動が、家族や社会といった共同体に波紋を広げることへのいらだちや非難が、「無責任だ」という感情的な言葉と共に「自己責任」として語られます。

⑦ 謝罪要求タイプ

上記の「無責任タイプ」がさらにエスカレートした形です。「迷惑をかけたのだから、謝罪すべきだ!」と、当事者だけでなく、その家族にまで謝罪を要求するような使われ方をします。

これも人質事件の例ですが、本人が「自己責任」と覚悟を示しているにもかかわらず、「本人だけの責任では済まない」 と周囲を巻き込み、「まずは迷惑をかけたことを謝るべきだ」 と、当事者やその家族に対して強い道徳的非難と謝罪を求める動きが見られました。ここには、「迷惑をかけてはいけない」という日本社会に根強い規範意識が色濃く反映されているのかもしれません。

⑧ 弱者切捨タイプ

これが、おそらく多くの人が「自己責任論」という言葉に最も嫌悪感を抱く使い方でしょう。社会的に弱い立場にある人々が困難に陥った際に、その原因をすべて個人の問題として片付け、社会的な支援や救済を否定するために使われるタイプです。

イラク人質事件の当事者の一人であった今井紀明氏は、後年のインタビューで「『自己責任』は他人を否定して、切り捨てる言葉になっている」と語っています。 貧困、失業、病気といった社会構造に起因する問題までもが「自己責任」の一言で切り捨てられ、連帯ではなく分断を生み出す。このタイプの「自己責任」は、非常に強い暴力性を帯びた言葉として機能します。

言葉のプリズムを通して社会を見る

こうして8つのタイプを見てくると、「自己責任」という一つの言葉が、まるでプリズムのように、使われる文脈によって全く異なる光を放つことがわかります。

主体的な覚悟を示す崇高な言葉から、社会問題を個人の怠慢にすり替える便利な道具、そして弱者を切り捨てる冷酷な刃まで。その振れ幅はあまりにも大きい。

なぜ、これほどまでにこの言葉は日本社会に響くのでしょうか。論文は、その背景に日本語話者が持つ自己観や規範性があるのではないかと示唆しています。 「他人に迷惑をかけたくない」という意識や、集団の和を重んじる文化が、「自己責任」という言葉を、時に過剰な同調圧力や他者への攻撃として機能させてしまうのかもしれません。

次に「自己責任」という言葉に出会った時、少しだけ立ち止まって考えてみてください。

「これは、どのタイプの『自己責任』だろう?」

そう自問するだけで、言葉の裏に隠された意図やイデオロギーが見えてくるかもしれません。言葉のカラクリを知ることは、この複雑で時に息苦しい社会を生き抜くための、ささやかな、しかし強力な武器になるのですから。


この記事を読んで、言葉と社会の深い関係についてもっと知りたくなった方へ。思考を深めるための一冊として、責任という概念そのものを哲学的に考察した書籍などはいかがでしょうか。知的好奇心を満たす旅は、ここから始まります。

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