「あーもう、自分がやった方が早い!」
デスクに山と積まれた書類、鳴り止まない電話、そして部下からのひっきりなしの質問攻め。プレイヤーとしての自分の仕事も抱えながら、チーム全体の数字にも責任を負う。そんなプレイングマネージャーたちが、心の奥で何度この言葉を叫んできたことだろう。
かつてはエースプレイヤーとして誰よりも成果を出し、その手腕を買われてマネージャーになったはず。なのに、現実はどうだ。部下に仕事を任せようにも、スキルが足りない、時間がかかる、結局自分で手直しするハメになる。だから、つい自分で抱え込んでしまう。
その結果、残業は当たり前。部下とのコミュニケーションは希薄になり、「もっと私たちに関心を持ってください」なんて不満まで聞こえてくる始末。挙句の果てには、自分が一番美味しい仕事を抱え込んでいるなんて、あらぬ誤解まで受けてしまう…。
もし、この状況に少しでも心当たりがあるのなら、それは決して特別なことではない。実は、日本の課長職の実に99.2%が、同じ悩みを抱えるプレイングマネージャーなのだ。そして、そのうちの6割が、「プレイヤーとしての業務がマネジメントの支障になっている」と悲鳴を上げている。
多くのマネジメント本は、理想論ばかりを語る。リーダーシップとは、ビジョンを示し、部下を育成し…。しかし、そんな悠長なことを言っている暇などないのが現実だ。「やるべきこと」が増えるだけで、一向に仕事は楽にならない。
なぜなら、それらの本の多くは「マネジメント専業」の管理職に向けて書かれたものだからだ。プレイヤーとしての個人の成果も求められるプレイングマネージャーには、全く別の、もっと実践的で、もっと泥臭いノウハウが必要不可欠なのである。
今回紹介する一冊、『プレイングマネジャーの基本』(伊庭正康 著/かんき出版)は、まさにそんな八方塞がりのプレイングマネージャーのために書かれた、いわば「救いの書」だ。この本が提示するのは、精神論ではない。明日から、いや、読んだ瞬間から実践できる、具体的で再現性の高い「仕組み」の数々だ。
この本を読み終える頃には、「自分がやった方が早い」という呪縛から解放され、「自分がいなくてもメンバーが勝手に動くチーム」を作るための、確かな道筋が見えているはずだ。
目次
心得その1:「自分でやってしまいたい病」からの脱却
プレイヤーとして優秀だった人ほど、この病は重症化しやすい。何せ、自分でやった方がクオリティもスピードも担保できるのは紛れもない事実なのだから。しかし、本書は断言する。それは「プレイヤーの発想」であり、マネージャーの発想ではない、と。
マネージャーの仕事は、部下の力を借りて、チーム全員で成果を出すこと。この一点に尽きる。
「でも、まだ部下には任せられない…」
そう考える背景には、「今、この瞬間」しか見ていないという落とし穴がある。確かに「今」は自分でやった方が早い。しかし、その判断を続けていたら、1年後、チームはどうなっているだろうか?メンバーは成長せず、自分はさらに増えた仕事に忙殺され、チーム全体のパフォーマンスは頭打ちになる。火を見るより明らかだ。
本書が説くのは、視点を「1年後」に置くこと。
今、仕事を任せるのは苦しいかもしれない。説明に時間がかかるし、ミスもするだろう。手戻りも発生する。しかし、その「産みの苦しみ」を乗り越えなければ、1年後に楽になることは絶対にない。
“任せる苦しみは最初だけ、ですから最初は不安になるでしょうが無理をしても任せてしまった方が正解ということなのです”
この一文は、多くのプレイングマネージャーの背中を力強く押してくれるはずだ。不安を消すために必要なのは、根性ではなく、「1年後を考える」という、ほんの少しの視点の切り替えなのだ。
心得その2:無駄な仕事は「基準」で斬る
時間に追われるプレイングマネージャーにとって、業務の効率化は至上命題だ。しかし、何が無駄で、何が必要な仕事なのか、その判断は意外と難しい。そこで本書が提案するのが、驚くほどシンプルな3つの判断基準だ。
その業務をやめたら…
- 顧客満足度に悪影響が出て、売上が下がるか?
- 従業員満足度に悪影響が出るか?
- コンプライアンス上の問題が発生するか?
このうち、一つも当てはまらないものは、誰が何と言おうと「無駄」。
例えば、何となく20年も続いていた朝礼。著者がこの基準に照らし合わせたところ、「やめても誰にも迷惑がかからないどころか、顧客接点が増え、残業も減る」という結論に至り、即刻廃止したという。
惰性で続いている会議、誰も真剣に読んでいない日報、過剰に丁寧な社内資料…。あなたの職場にも、この基準で斬れる「無駄」が、きっとゴロゴロ転がっているはずだ。判断に迷わなくなる「基準」を持つこと。それだけで、仕事量は劇的に削減できる。
心得その3:「あなたがいなくても回るチーム」の設計図
プレイングマネージャーのゴールは、仕事を回すことではない。自分がいなくてもメンバーが勝手に動き、自律的に成果を上げていく「自主運営型」のチームを作り上げることだ。
そのために不可欠なのが、マネジメント業務の一部すら部下に引き継いでいくという発想である。特に、チームのメンバーが4人を超える場合、自分一人ですべてを管理しようとすること自体が破綻の始まりだ。
そこで重要になるのが、「連結ピン」となる参謀役、つまりナンバー2の存在だ。
自分が会議に出席できないとき、代行者として場を仕切ってくれる。自分が言っても部下が納得しないとき、第三者の視点から「マネージャーの言うことはもっともだと思うよ」とフォローしてくれる。そんな自分の「分身」を育てるのだ。
本書では、この参謀役を育てるための具体的な5つのポイントも丁寧に解説されている。ただ仕事を振るのではなく、目線を合わせ、課題設定の精度を高めさせ、PDCAを回すよう指導する。そうやって育て上げたナンバー2は、チームの要となり、マネージャーの負担を劇的に軽減してくれる、かけがえのない同志となるだろう。
「どうしようもない部下」は、いない。いるのは「ふさわしい持ち場」だけ
どんな組織にも、なかなか成果を出せない社員はいる。優秀なプレイヤーであったマネージャーほど、彼らを見て「なぜこんな簡単なこともできないんだ」と苛立ちを覚えてしまうものだ。
しかし、本書はそんな「お荷物社員」こそ、チームの宝物になり得ると説く。その考え方の根幹にあるのが、「おくりバント」という発想だ。
ホームランやヒットは打てないかもしれない。しかし、自分がアウトになる代わりにランナーを進塁させる「おくりバント」なら、彼にもできるはずだ。全員が4番バッターである必要はない。チームには、それぞれの役割がある。
著者の実体験が、それを裏付けて物語る。
納期は守らない、平気で嘘はつく、目標も達成できない…。そんな「本当にどうしようもない部下」だったS君。著者は彼に、ある重要な役割を任せた。それは、売上貢献度の低い「残りの8割の薄いお客様」の担当だ。
そして、ただ一つだけ、条件を出した。
“君に重要な役割を任せたい。でも条件がある。それは嘘をつかないこと。一回でも嘘をつくことがあれば、この仕事は任せられなくなる。どうかな?”
この言葉が、S君を変えた。彼はその後1年間、一度も嘘をつくことなく、その役割を全うした。その結果、エース級の社員たちは売上の高い顧客に集中することができ、チーム全体の業績は劇的に向上したという。
S君が支えてくれたおかげで、業績が上がった。これは紛れもない事実。人格や能力は簡単には変えられない。それでも、活かし方は必ずある。全員で成果を出すと考えれば、どんな人材にも活かし方が見つかるのだ。このエピソードは、マネジメントの本質を突く、感動的な教訓に満ちている。
精神論にサヨナラを。「仕組み」がチームを動かす
部下の意識を変えるのは、骨の折れる仕事だ。いくら「残業を減らそう」「もっと提案しよう」と口を酸っぱくして言っても、人はそう簡単には変わらない。組織には、これまでの流れを維持しようとする「慣性の法則」が働くからだ。
では、どうすればいいのか?
答えはシンプル。「評価」を変えることだ。
人は、評価される行動を取る。もし残業が減らないのであれば、それは「残業しない人」が評価される仕組みになっていないからだ。あるマネージャーは、残業時間に応じてインセンティブの掛け率を変えた。残業が少ない人ほど、インセンティブが多くもらえるようにしたのだ。
その結果、どうなったか。
マネージャーが口うるさく言わなくても、部下たちは勝手に工夫し始め、組織の残業は激減。しかも、過去最高の業績まで叩き出したという。
他にも、改善提案に1件500円のインセンティブを出す「提案コンテスト」の開催や、リクルートで長年活用されている目標達成管理手法「読み管理」など、本書には「会話」や「意識改革」といった曖昧なものではなく、行動変容を促す具体的な「仕組み」が満載だ。これらを知っているか知らないかで、チーム運営の難易度は天と地ほど変わってくるだろう。
この本が、あなたの明日をどう変えるか
本書は、単なるノウハウ集ではない。プレイングマネージャーという、過酷で、しかしやりがいに満ちた仕事と向き合うための「思考のOS」をインストールしてくれる一冊だ。
- 自分の時間を創出できる:「任せる技術」と「仕事の減らし方」を身につけることで、時間に追われる日々から解放される。
- 部下が自律的に育つ:「仕組み」によって、指示待ちだったメンバーが自分で考え、行動するようになる。
- チームの成果が最大化する:全員が自分の役割を認識し、同じ目標に向かって力を発揮できる「自主運営型」の組織が生まれる。
- マネジメントが楽しくなる:部下の成長を実感し、チームで成果を上げる喜びを知ることで、マネジメントへの不安が自信へと変わる。
もしあなたが今、プレイングマネージャーとしての役割に押しつぶされそうになっているのなら、この本は間違いなく、その重荷を軽くしてくれるだろう。そして、かつてプレイヤーとして感じていたのとは全く違う、チームを率いて大きな目標を達成するという、新しい仕事の喜びを見出すきっかけを与えてくれるはずだ。
もう一人で抱え込むのは、今日で終わりにしよう。



コメント