「もっと良い授業がしたい」 「学習者にとって、本当に『いい先生』になりたい」
教壇に立つ人なら、あるいはこれから立とうとしている人なら、誰もが一度は抱く切実な願いではないでしょうか。しかし、この「いい先生」という言葉、あまりにも漠然としていて、まるで霧の中にそびえる巨大な山脈のようです。頂上を目指そうにも、どこから登ればいいのか、どんな装備が必要なのか、途方に暮れてしまうことも少なくありません。
ある人は「圧倒的な知識と美しい日本語が不可欠だ」と言い、またある人は「とにかく学習者と仲良くなるコミュニケーション能力こそが全てだ」と語ります。どれも正しく聞こえるけれど、一体どれが本質なのでしょうか。
この終わりのない問いの答えを探して、学術論文の海に深く潜ってみることにしました。今回手に取ったのは、横溝紳一郎氏による「日本語教師の資質に関する一考察 – 先行研究調査より-」。この論文は、教育学や言語教育の分野で積み重ねられてきた先行研究を丹念に読み解き、「いい先生」の条件を浮かび上がらせようと試みた、まさに羅針盤のような研究です。
そして、その羅針盤が指し示したのは、驚くほどシンプルで、しかし奥深い3つの方向でした。
それは、「人間性」「専門性」そして「自己教育力」。
なんだ、当たり前のことじゃないか、と感じるかもしれません。しかし、この論文の旅は、その当たり前だと思っている言葉の本当の意味を、そしてその3つの力がどのように絡み合って「いい先生」を形作っていくのかを、鮮やかに描き出してくれます。
この記事では、この論文を水先案内人として、「いい先生」をめぐる探求の旅へと出発します。日々の実践に悩む現役の教師の方も、これから教師を目指す方も、きっと明日からの景色が変わって見えるような、大切なヒントが見つかるはずです。
目次
衝撃の事実。学習者は「知識」よりも「心」を見ている
探求の旅の最初に、少しショッキングなデータから見ていく必要があります。
日本語教師というと、どうしても「日本語のプロフェッショナル」としての側面に光が当たりがちです。正確な文法知識、美しい発音、効果的な教授法…。もちろん、これらは非常に重要です。しかし、実際に教わる側の学習者たちは、教師の何を一番見ているのでしょうか。
論文の中で紹介されている、ある興味深い調査結果があります 。日本語学習者たちに「教師に望むものは何か?」と尋ねたところ、その答えは実に示唆に富むものでした。
- 学習者への心配り
- 教職意識(教師としての自覚や職業意識)
- 教授法の知識と能力
- 日本語の専門知識
驚くべきことに、私たちが「専門性」の中核だと考えがちな「教授法」や「専門知識」は、3位と4位。それ以上に学習者たちが強く求めていたのは、「心配り」や「教師としての意識」といった、より人間的な側面だったのです 。
これは、教育という営みの本質を鋭く突いています。教育とは、単なる知識の伝達ではありません。それは、人間と人間との関わり合いの中で、学び、成長していくプロセスです。学習者たちは、教師を「知識をくれる機械」としてではなく、「自分たちの成長を支え、導いてくれる一人の人間」として見ている。だからこそ、その人となりや自分たちへの向き合い方を、何よりも大切に感じているのでしょう。
この事実は、私たちが「いい先生」を目指す上で、決して忘れてはならない出発点となります。専門知識や技術を磨くことはもちろん大切ですが、その前に、あるいはそれと同時に、自分自身の「人間性」という土台を見つめ直す必要があるのです。
すべての力の源泉。「人間性」という名の土台とは?
では、その「人間性」とは、具体的にどのような要素でできているのでしょうか。論文では、教育学の分野で議論されてきた様々な「望まれる人間性」が紹介されています 。それらを紐解くと、いくつかの共通したキーワードが浮かび上がってきます。
1. 学習者への愛情と探求心
これは、先ほどの学習者の声とも直結する、最も根源的な要素です。「子供を思うこと」、「子供への愛情」 と表現されるこの力は、教育のエンジンそのものと言えるでしょう。
ただ「好き」という感情だけでなく、学習者一人ひとりを見て、「新しい発見の驚きと喜びを感じることのできるみずみずしさ」 も含まれます。目の前の学習者が昨日できなかったことができるようになった瞬間の喜び。その人が持つユニークな個性に気づいた時のときめき。そうした探求心に満ちた眼差しこそが、信頼関係を育み、学習者の可能性を最大限に引き出すのです。
2. 安定した心と、豊かな感性
教師も人間です。イライラすることもあれば、落ち込むこともあります。しかし、その感情の波が教室の空気を支配してしまうようでは、学習者は安心して学ぶことができません。「情緒の安定」は、学習者が安心して心を開ける安全な場所を作るための必須条件です 。
さらに、「豊かな感性」 も重要です。同じものを見ても、何も感じない人もいれば、そこに物語を見出す人もいる。学習者の何気ない一言の裏にある感情を察したり、教材の中に隠れた面白さを見つけ出したりする力。そうした感性の豊かさが、授業を味わい深いものに変えていきます。
3. 公平さと、自分を受け入れる強さ
「えこひいき」は、教室の信頼関係を最も破壊する行為の一つです。「公平さ」とは、すべての学習者を尊重し、一人ひとりに細やかな配慮をすること 。それは、お気に入りの学習者だけでなく、少しとっつきにくいと感じる学習者にも、同じように愛情と関心を注ぐことができるか、という問いでもあります。
そして、他者を公平に愛するためには、まず自分自身を肯定的に受け入れている必要があります。「自分を受け入れること」。自己嫌悪が強い人は、他者への嫌悪も強くなりがちです。自分の長所も短所もひっくるめて受け入れ、自分という人間を好きでいられること。その健全な自己肯定感が、他者への寛容さと愛情の土台となるのです。
これらは、まるで聖人の条件のように聞こえるかもしれません。しかし、これらは生まれつきの才能ではありません。論文は、「資質は固定不変のものではなく、本人の研鑽・努力によって磨かれるもの」 だと断言しています。意識し、努力し続けることで、誰もが育てていくことができる力なのです。
専門性という名の柱。しかし、それは知識のコレクションではない
さて、人間性という強固な土台があって初めて、その上に立つ「専門性」という柱が真価を発揮します。日本語教師の専門性と聞くと、多くの人が「日本語の知識」や「教授法のテクニック」を思い浮かべるでしょう。論文でも、もちろんそれらの重要性は指摘されています。
- モデルとなりうる日本語能力 (明瞭な音声、自然な表現、論理的な話し方など)
- 日本語や教授法に関する知識
- 学習者心理や異文化に関する知識
これらは、いわば教師の道具箱の中身です。質の良い道具をたくさん持っているに越したことはありません。日本語教育能力検定試験が測定しようとしているのも、主にこの「基本的な専門性」の部分です 。
しかし、論文を読み進めていくと、「専門性」とは単なる知識や技術の集積ではないことが見えてきます。波多野(1988)の議論を引いて、論文は専門性の本質を次のように説明しています。
教師の専門的知識や技術は、…『子供を理解』することを通して、それが専門的知識や技術に高まり、深まる必要がある。『待つ』ことを例にとれば、…どのような発問の時、子供の思考の内容や速さに即して、どのような待ち方をするか、…機械的に待てばよいというのではない。
つまり、本当の専門性とは、「人間性(学習者理解)」と知識・技術が分かちがたく結びついた、実践的な知恵のことなのです。
「この学習者は、今どんな気持ちで、頭の中で何を考えているのだろう?」 「この文法を教えるのに、このクラスの学習者たちにはどんな例えが一番響くだろうか?」 「この間違いは、単なる知識不足から来ているのか、それとも何か心理的なブロックがあるのだろうか?」
このように、常に学習者の姿を思い浮かべながら、自分の持つ知識や技術をどう使うのが最適かを考え、判断し、実行していく力。それが、単なる「物知り」と「いい先生」を分ける、真の専門性と言えるでしょう。たくさんの道具を持っていても、それをいつ、誰に、どう使えばいいのか分からなければ意味がありません。人間性という土台の上で、学習者を深く理解しようと努める中でこそ、専門性は血の通った力となるのです。
成長し続ける力。「自己教育力」という最強のエンジン
強固な「人間性」という土台。そして、その上に立つ「専門性」という柱。これだけでも素晴らしい教師の姿が浮かび上がります。しかし、論文はもう一つ、決定的に重要な要素を提示します。それが「自己教育力」です。
これは、「絶えざる探求心」や「自らを高めようとすること」 とも表現される力で、一言で言えば「自ら学び、成長し続ける力」です。
なぜこれがそんなに重要なのでしょうか。 理由は単純です。教育の世界に「これで完璧」というゴールは存在しないからです。学習者は常に変化し、社会も変わり、教育理論も日々進化しています。昨日まで最善だと思っていた教え方が、今日にはもう通用しなくなることだってあります。
そんな変化の激しい世界で、過去の成功体験だけに頼っていては、あっという間に時代遅れになってしまいます。常に自分の実践を振り返り、学習者の反応を観察し、新しい知識を求め、より良い方法を探し続ける。この姿勢こそが、教師を教師たらしめるのです。
論文は、この力を「自己研修型教師」という言葉で説明しています 。それは、誰かから与えられたマニュアルをただこなす受け身の存在ではなく、
自分自身の教室で起きていることを冷静に分析し、学習者のために何が必要かを考え、主体的に教材や活動を創造していく能動的な存在です 。
- 自分の授業をビデオに撮って客観的に見直してみる。
- 同僚に授業を見てもらって、率直な意見をもらう。
- 学習者にアンケートを取って、授業の感想を聞いてみる。
- 専門書を読んだり、研修会に参加したりする。
こうした地道な活動を、誰かに強制されるからではなく、自分自身の意志で継続していく力。それが「自己教育力」です。そして面白いことに、この力は「人間性」と「専門性」をさらに磨き上げるためのエネルギー源にもなります。
「もっと学習者を理解したい(人間性)」という思いが、学びへの意欲(自己教育力)をかき立て、その結果、新しい知識や技術(専門性)が身につき、さらに深く学習者を理解できるようになる…。この3つの力は、互いに影響を与え合いながら螺旋状に高まっていく、美しい関係にあるのです。
旅の終わりに。そして、新たな旅の始まりへ
「いい先生」とは何か? この問いを携えて出発した論文の海をめぐる旅は、私たちを「人間性」「専門性」「自己教育力」という3つの大陸へと導いてくれました。
それは、特定のスキルやテクニックのリストではありませんでした。むしろ、教師としてどう「あるべきか」という、より深く、本質的な姿勢を問うものでした。
- 学習者一人ひとりに愛情と関心を注ぎ、その成長を心から願う「人間性」という土台。
- その土台の上で、学習者への深い理解と結びついた知識・技術を駆使する「専門性」という柱。
- そして、その家を絶えずより良くするために学び、実践を振り返り続ける「自己教育力」というエンジン。
この3つが揃ったとき、教師は単なる知識の伝達者から、学習者の人生に寄り添い、その成長を共に喜び、未来への扉を開く、かけがえのない存在へと変わっていくのかもしれません。
そして、最も希望に満ちたメッセージは、これらの力は「生まれつきの才能」ではなく、「努力によって磨かれるもの」 だということです。
今日の授業がうまくいかなくても、落ち込む必要はありません。それは、明日もっと良い授業をするための、貴重な学びの機会です。自分の人間性に自信が持てなくても、絶望することはありません。学習者と真摯に向き合う日々そのものが、人間性を豊かに育ててくれるはずです。
「いい先生」への道は、完成のない、終わりなき旅路です。しかし、その一歩一歩が、自分自身を成長させ、目の前の学習者の未来を照らす、尊い道のりであることは間違いありません。
さあ、この羅針盤を胸に、明日からまた、自分だけの「いい先生」を目指す新たな旅を始めてみませんか。
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